戦艦三笠の荒廃敗戦から1年経たない1946年4月の時点で、切断可能な金属はガスバーナーで切断されて盗まれ、甲板のチークは薪や建材にするために盗まれ、「三笠」は急速に荒廃していた。
東郷平八郎を敬愛していたアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ元帥はこれを知ると激怒し、海兵隊を歩哨に立たせて三笠を護ろうとした。
※チェスターミニッツは、1885年2月24日生まれで、後に少尉候補生となると、サンフランシスコにて米アジア艦隊旗艦となる戦艦「オハイオ」に配属となり、東アジアへ航海する。日本に寄港した際、日本海海戦で大勝をおさめたばかりの東郷平八郎と会話する機会があり、ニミッツは大変な感銘を受けた。
また、太平洋戦争の時の太平洋艦隊司令長官でもある。ミッドウェー海戦時に指揮していた人物です。